安らかに眠る世の前、君と韻踏ミ。

旅人が旅に出たのはもう幾年か前のこの日和で、だからこの家にチョコレート日和はありませぬ。チョコレート日和はないけれど、世は毎度、はいチョコレートだい、やいチョコレートだい、と騒がしゅう地デジ事情、と、チョコレート事情。それに加え、インターネット事情ますますカカオに拍車かけ、この口の中はもう、チョコレート、食べとうございますチョコレート日和。僕は、何気ない顔で、日付の変わる少し前に涙流れてみたり、それはもう、理性ではどうしようもない感覚、気づけば、ほれ、もうそこに、ほれほれ、と、塩水頬伝ひ。どうしたって溢るる、もちろん強がりながら、どうしたものかと己に驚き、どうにもできぬ、と、音立てず、しかしまたしずく落ち堕ち、そしたら猫が訪ねて来るので、なんとなく猫を撫で撫で鼻すする。猫はキョトンと、この頬落つ塩水じっと、じっと眺め、ただ静かに。言葉なく、しばらく眺め、あくびひとつと寝息立てたて夜越し朝日か。とほほ、と、空見上げど、日は時は否応なしに進んでゆくわけで、言い訳はゆうておられぬ今日も今日とて、駅まで向かう道すがら思ふことあり。幾年か前のこの日より旅人出かけ懐かしゅう、しかし幾十年か前の明後日に、我が焦がれてやまぬ音楽家、この世に生まれ落ちたそうな。なんとも不思議な巡り合わせか。

チョコレート日和へ向かうたび下ばかり向いて歩いた日々あり、チョコレート日和ひとつ終わったかと思ふとまた次のチョコレート日和へ、はたまた終わり、また次のチョコレー、次のチョコ、次のチ………飽くなき下向き行進する日々ただ更新し続けた若者よ。おめえの事情なんか知らねえよ、と、どこぞの演出家に江戸弁でドヤされ続け芝居したあの若き日ももう過ぎた。

しかしあの日々が嘘のように、この音に浄化されゆく様々な瞬間か。とてもでないけれども、呼吸なぞし易くなる日が来るものか、来るものか、と堅く意地張る青い春あったが、今ならあの若者に言える。あとわずか呼吸すれば、し続ければ、出会える音があると。出会える音楽があると。出会える人がいると。だからただ、ただ歯食いしばり行進を更新しなせえ、と。今なら言える。

駅まで向かう道すがら、目の前を小走りして通り過ぎる乙女あり。左手に小さくヒンある紙袋さげ、おそらくそれは、チョコレート日和のためのチョコレートであろう。乙女や、愛し君へ会いにゆくのか。我と関係なく、チョコレート日和は相も変わらず、本年も、どこまでもチョコレート日和で、乙女は君へ、愛を告げに行く。また、どこかでこの瞬間にも新しい呼吸生まれ、また、旅立つ者あり。世は本日も、晴天なり。チョコレートかじる君の隣で、乙女は笑うだろう。黒髪揺らし何処かの君のもとへ急ぐ乙女よ、永遠に。

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