こだわらないにこだわるこだわりを。

こんなにも時が経ってしまった。文章は毎日書くことに意味があると誰かが言っていて、毎日書いている時はその意味が分かってくるような気がしたりするけれど、なんだかんだと日々が過ぎてゆくとなかなかそうもいかない。こう書いている間も「なんだかんだ」とか「そう」とか、なんとなく誤魔化しながらこれを書き進めている自分が居て、キーボードに今まで見なかったはずの猫の毛がふわりと一本落ちていたり、隣で猫が喉を鳴らして眠っていたりする日常が、何時かの日々とは確実に変化していて、生きるということは、生きてゆくということは、未知との遭遇の連続。何とも使い古された言葉が一番ぴたりとこの肌に吸いつく蒸し暑い夜。

たくさんのことが差し迫ってくる日常の中で、選択し続ける私たちが辿り着く場所はどこなのだろうか。彼女は強い瞳を持っていて、しかしそれは時折儚げに揺れる。私たちだけが夜の銀座の人波の中立ち止まった。彼女が抱えるものと、私が抱えるものが、あらゆる場所から集まってきた人やモノの渦に飲まれながら息をしている。選択の先に答えがあり、その答えの先にまた選択があり、戻れない選択と戻りたい選択、二度と戻りたくない選択達が、それでも大きな目と口でこちらに何かを訴える。それらはいつだって、どれもが違う色で同じくらい輝いている不思議さ。

こだわることにこだわり続けた日々があったけれど、どうやら自分で首を絞めていたようだ。人との距離が物理的に少しゆとりのある故郷で暮らし始めて、そんなことを思った。近すぎて遠ざける日々と、近すぎて追い越せない明日と、遠ざけようにも遠ざけられない満員電車に乗り込んで、俯きながら何かを生み出さねばと頑なにこだわっていたあの頃。あの頃に頑なにこだわり続けたあの頃。自分の生きる場所も自分ではどうにもできない瞬間を迎え、それでも表現を想い生きることのできる幸福に気付く。生きる場所は、きっと、ずっと、もっと、変化し続ける。

季節外れど、まぁ蒔きませう。

母が蒔き損ねたバジルとパクチーの種があった。少し季節が外れてしまったようで、今から蒔いても芽は出ないかもしれない。しかし今蒔かないとなんだか心残りだから、ひとまず蒔いてみることにする、と母は言う。私も興味が沸いて手伝うことにした。
この庭はとんでもなく森に近く、私は何がどこにどう植わっているのか分からない。しかし彼女と庭を歩くと、そのどれもに名があり、家があり、まるで植物たちのアパートメントのようだ。彼女は大家兼管理人で、この森のすべてを把握している。

土がミミズによって良質なものになったり、成長していくことなど知らなかった。まず土というものに意識して触れたのはいつぶりだろうか。何かやるせなくてコンクリートに頭を擦りつけてみたり膝をついたことはあっても、土に触れ、それが生命力に溢れている、というような感覚を抱いたのは新しいかもしれぬ。
種はゴマ粒のような小さなものだった。こんなに小さいのかと驚いた。このものたちが成長して力をくれるのか。土に蒔くと見失う。見失うかもしれぬが、ほどよく水を撒き続ければ気が向いて、季節外れでも芽吹くかもしれない。気長に待とう。

ペテン師にさよならを。

里里という猫が我が家にやって来た。サトリと読む。私が名付けた。音の通り、悟りたいという願いを込めて、里里(サトリ)と名付けた。

さとり【悟り/覚り】  出典:デジタル大辞泉(小学館)
1.物事の真の意味を知ること。理解。また、感づくこと。察知。「―が早い」
2.仏語。迷妄を払い去って生死を超えた永遠の真理を会得すること。「―の境地に達する」

そういえば旅人はいつも「悟りたい。」と言っていた。私は時たま、旅人の言葉を思い出す。

何年振りかに海外から帰国している親友と再会した。彼女はますます凛として美しかった。私は相も変わらずふわふわとしていてどうしようもない。降り続く雨に打たれて、かに道楽もグリコも泣いているようだった。彼女の姿を目にした瞬間私は泣いて、まるで子供みたいだった。TSUTAYAもスターバックスも滲んでしまって、目の前の彼女の笑顔も私の目には滲んで見える。雨は降り続く。時間は本当に関係がないのだなと思う。会わない時間があっても、私たちは私たちの時間がそのままに流れていた。そんな日に里里と出会った。

ジェットコースターに乗ったら空が青すぎてまた泣けてきたのは、それから数日後のことだった。久々にこの類のものに乗ったからかもしれないが、飛んでいる私の体にどんどんと血の温もりが蘇ってくる。こんな広い空を見たのはいつぶりだろうか。嬉しい。嬉しすぎて、驚いている。空はこんなにも青いのか。広いのか。前進するたびドクドクとして、急降下するたび涙がこぼれた。すごい速度で走るもんだから、涙は蒸発して塩分だけが皮膚にこびりついた。べたべたになった頬と鼻水まで拭いながら、ぐるんぐるん揺さぶられる脳みそと心が、やっと本当に私のもとへ戻って来てくれたようだ。何にも支配されない、本物の私のところへ戻って来た。嬉しくて嬉しくて、安全バーを握る手にはますます力がこもった。ここで死ぬわけにはいかない。己はもう、誰にも奪われない。私は叫んだ。私たちは叫んだ。青空にも夜空にも叫んだ。

全て生まれて初めて見る景色なのだ。私は口をへの字にして、眉をハの字にして、歯を食いしばって、空を仰いだ。生まれ変わったみたいだ。本当に今、生まれたんだ。この世界は限りなく自由だ。

通り雨過ぎ消えてゆく雨。

通り雨がやってくる前に訪れる暗がりに敏感になって来た。雨が降る前は香りがする。そしたら雷が遠くで鳴って、あっという間に雨が降り出す。いつまで続くのかはわからない。地面にたたきつける雨音が全てをかき消す。
ぼうとして母のアトリエのソファに沈み込む夕刻過ぎだった。母はもくもくと刺繍をしていて、真っ白なシャツは見る間に色づいてゆく。何十本もの糸が重なり合い絵画となっていく様は見事だ。その隣でぽつりぽつり、頼りない言葉でとりとめのない話とどうにもならない話をした。私は相変わらずぼうとしていたが、彼女は手を動かしながら口も器用に動かしてくれた。彼女のコミカルな動きや表情がくるくると現れては消えてゆく。ここぞという時の凛とした表情や語気には勢いがある。母だ。確かに母がいる。

そこに居るはずの人が居なくなるということがある。そこに居るはずだと思い込んでいたのは案外こちら側だけで、そもそも居る場所はその存在自身が決定するものであるし、それは限りなく自由だ。記憶は必ず美化されていくだろう。美化されぬ記憶は忘れていくだろう。美化も忘れもできぬ悪夢は脳みそから抜け落ちて、いつか完全に削除されるだろう。綺麗ごとでは片付かない。そこに居ない、それだけが真実だ。

ゆらゆらと文月。

猫と暮らしたい。そんなことを思う。もう何年も前から波のように寄せては引き、そしてまた寄せてきた願望である。

昔動物に愛情を持てず、長く自分に戸惑っていた時期があった。‘愛情を持てない’というのは、「可愛い!」と飛び込んでいけない、というような感覚。小学生のころ下校時に犬の散歩をしているご婦人などと遭遇すると、友人たちが「可愛い!」と飛び込んでいくシーンを何度も目にした。野良猫やどこぞから抜け出したであろう飼い猫に対しても、彼女らは一様に「可愛い!」と駆け寄る。その瞬間がやってくるたび、後ろでぽつんとワンテンポ遅れて遠慮気味に一応駆け寄る自分に、いつも違和感が付きまとっていた。こんなポーズをしても何にもならないのに、なんだかその儀式みたいなものを上手く切り抜けないと人間としてこの人たちの仲間に入れてもらえないんじゃないかとドキドキしていた。
小学三年生頃になると空前のペットブームがクラスにやってきて、どんどんとクラスメイトがペットを飼い始めた。休み時間には犬派か猫派かが熱心に議論され、犬なら何犬が好きだという話から犬種に詳しい者が崇められたり、そんな年頃があったように思う。私もその時犬や猫の図鑑を開いて勉強してみたりしたけど当然頭に入ってこず、この私の動物への興味のなさ、というのか、愛情のなさ、というのか、「可愛い!」と飛び込んでいけない自分はどれほど冷酷な人間なのだろうか、と己に怖れを抱くほどであった。
後になって考えると、ただ動物が怖かっただけなのかもしれない。自分とは姿かたちの違う生命に、「可愛い!」では片づけられない感覚があった。同じ一つの命であって、対等に関わっていかなければ、と頑なに感じていたような気がする。もちろん「可愛い!」と駆け寄る人々もそうなのだろうけれど、私はその表現の仕方ではなかったのかもしれない。うまく言えないけれど。
そんな時代があったにも関わらず不思議なもので、いつの間にか猫がとても好きになった。とにかく可愛い。ぐちゃぐちゃと考える前に、もうすでに可愛い。猫と暮らしたい。切実である。しかし一つの生命を迎え入れるというのは勇気のいることで、なかなか踏み出せずにいる。彼らを迎えるには彼らの居場所と生活環境を整えなければならないし、他にも考えれば考えるほど気が遠くなりそうだ。実現するには、もう少し時間が必要らしい。

すぐに猫と暮らすことができないのであればと、何を血迷ったかバランスボールを購入した。いつか猫と暮らし始めても支障がないように、‘猫の毛がつかない’というレビューのあったものにした。それが一番の決め手になったといっても過言ではない。バランスボールというものが我が家にやってきたのは初めてなのだが、膨らませ少し弾んでみるとよくわからぬ温度で色めき立つリビングルーム。父が意外にも興味を抱いて、書斎まで持っていきボールに乗りながら姿勢よく仕事をしている姿を見るとさすがに笑った。いつものオフィスチェアで仕事をしている際はなんだか威厳があるけれど、それがバランスボールだとやはり可笑しい。母も母で隙を見つけてそれを父の書斎から救出し、ボールに乗って弾みながら刺繍をし出したりする。私は今母のアトリエからボールを救出して、少し弾みながらこの文章を書いている。愉快だ。

七月がやって来た。

ひと針の楽園。

蓮の葉が一斉に揺れた。風に吹かれ波打ち、どこまでも続く。雲がいつもより低い気がする。風はごうごうと唸っていて不気味だ。もうすぐ雨が降る。

口内炎が沁みた。いつの間にかできていた小さなそれは、水を口に含むたび痛む。無意識下で出来た傷の方が、意識下で出来るそれよりもじわじわと痛む。どちらももちろん痛いけれど、不意を突かれることの方が痛みが増す気がするのは私だけだろうか。厄介なのは、無意識だということ。どうにもできない。
そういうことは生活でもよくある。歩み寄ろうとするものと、己を貫き通そうとするもの。正義とは何なのだろう。

母のアトリエで刺繍をする時間が増えた。刺繍のことは何もわからないけれど、集中すると気持ちが良い。わからないなりに針を進めていくと、白いシャツにだんだんと何かが現れてくる。気の向くままに縫えばいいよと母は言う。このキャンパスは限りなく自由だから、と。私はざくざく縫う。どこに向かうかわからずに縫う。いろいろ知るのは後でいい。まずはこのひと針から縫い始めよう。

すべて超えたい24時。

父は朝から饒舌で、なんだかわくわくとしているようだった。どうやら今日は新しい場所に足を運び、新しい挑戦が始まるらしい。向こうの部屋で溌剌とした父の声が響いていた朝だった。私も今日は新しい場所に行く予定があるのだけれど、わくわくよりもどきどきが大きくて、それは少し神経をぴりりとさせるどきどきで、不安だ。うつらうつら眠りから覚める少し前、そんなことを思っていた。
父の仕事は彼にとってまさに‘Calling’、つまり‘天から授かったつとめ’‘天職’だと言う。もちろん初めからそうだったわけではない。生きるために‘Work’し続け、それがいつの間にか‘Calling’になっていたそうな。
そんなわけで今日も彼は楽しそうであった。声だけしか聞かなかった朝だけれど、なんだかそんな感じがした。新しい環境へ足を踏み入れるとき、彼は存分に楽しむ。私はまだ、楽しみよりも不安の方が勝る、らしい。

人生において、どうしても自分の‘根源’と向き合わなければならない瞬間があるように思う。普段はそれを深く意識しなくても生活は進んでゆくし、できればそんなものを気にせず進んでゆけた方が楽なのかもしれない。選択は日々更新され、足を止めることは許されぬ日常がまた、更新され続けるはずだ。しかし、そんな中でぶつかるときがある。それは突然、音もなく眼前に高く立ちはだかっている。ひょんな事がきっかけかもしれないし、とても大きな何かを経験することによって向き合わざるを得ない状況に陥るのかもしれない。

自分はこの世に誕生してから、どのように生きてきたのか。どのような環境で、何を感じ、手に入れ、失い、切望し、呼吸してきたのだろうか。また自分の祖先たちは、どのように生き抜いてきたのか。その魂を受け継いで自分にはどのような‘宿命’が、‘Calling’が、あるのだろう。

届かぬ想いは、何処へゆくのか。

目の眩むような暑さに夏の訪れを感じずにはいられない。まだ六月だというのにこんな具合では、灼熱の太陽照りつける真夏に立ち向かえるだろうかと不安になる。そんなことを考えていると、にわか雨が降って一瞬にして草木が匂い立つ夕暮れ時。すぐに夜が来て、遠くからバイクのやってくる音が聞こえた。ガソリンの匂いがする。重低音が暗闇を引き裂く。匂いはますます濃くなって無遠慮に鼻にまとわりつく。永遠に続いてゆくかのような音と匂い。
昔、音楽を教えてくれた人がいた。彼女にずっと聴いていたい音楽は何かと問うたら「風」と言った。静かな夜に、風を聴く。風はいつだって形を変えて歌い続ける。

生まれ変わりを信じるか。この世の縁とは何なのか。何か理由が欲しいから、たった一度すれ違った人ですら、きっともっとずっと昔に、どこかですれ違った一人なんだろうと思う。哀しみは簡単に怒りへ変わるだろう。その怒りはお前のものか。誰のものだ。その感情は、他者への愛か、己への愛か。勘違いしてはならない。甘えてはならない。偽善などいらぬ。覚悟しなければ。

届かぬ想いは、何処へゆくのか。

脳みその汗が、滴り落ちたんだ。

静かに草木が呼吸している。まるで内緒話をしているようだ。闇はもっと濃くなって、この液晶画面はもっと光って、小さな虫たちが寄ってくる。夜が来た。
夜はどちらかと言えば好きではない、かもしれぬ。早起きの方が得意だ。父が昔から朝早く仕事に出掛けていた影響だろうか。遠くの方で玄関のドアが閉まる音が聞こえる紫紺色の朝。うっすらと目を開けて、また閉じて、また開ける。どこかで車はもう走り始めていて、時折天井にヘッドライトか何かが反射する。反射した影にはいくつかのリズムがあって、よくそれを目で追っていた。そうすると眠れなくなって、感覚が研ぎ澄まされてゆくのを感じる。静けさの中に生まれる音にびくついて、あるはずのない人の気配に怯えるような子供だった。

歌えない時期があった。相棒のギターを触るのも億劫で、次第に埃が積もっていった。ただ窓の外を眺めるばかりで動けない。空は青すぎて、空っぽだった。何の音もしない。いや、聞こえないはずの声ばかりが聞こえて、耳をふさいでもそれは鳴り続けた。寝ても覚めても、鳴り続けた。

歌を作ることはいつから始めただろうか。どうしても越えられない哀しみがあって、気付けばYAMAHAの初心者セットのギターを弾いていた。高校時代に家の近くの楽器屋さんで買った一番安いもので、始めてすぐに挫折したギターだった。選択の連続に、そんな等しく当たり前の日常に、どう呼吸していこうかと確かに戸惑っていた。「どんなに出会い、どんなに別れ、この心を身体を奪われたとて、あんたが創った作品だけは、あんたの一生の友達よ。誰も奪うことのできない、決してあんたを裏切らない、唯一無二の親友よ。」と誰かが言った。心底納得して、まるで頭を殴られたような気がした瞬間だった。すぐに歌を作った。息のできぬような別れの夜も、越えられぬような沈黙の朝も、歌を作った。

 

歌を作った。歌を歌った。涙が出た。歌を作った。完成した。涙が出た。私はよく泣くけれど、悲しくて泣いてるんじゃない。涙は脳みそから滴り落ちる汗だ。走って、走って、苦しくて、走って、走って、息が上がって嬉しくて、泣いてるんだ。生きてるから泣いているんだ。

脳みその汗が、滴り落ちたんだ。

土地に息衝く彼女について。

目が覚めて窓を開けたら、見慣れない花が咲いていた。青々とした木々の中で、一輪だけ凛としてこちらを向いている。昨日までそこに存在しなかった花だと思うけれど、私が気付いていなかっただけかもしれない。通りすがり、柴犬の散歩をする紳士が鼻歌を歌っている。初めて聴いた歌だった。
花は、昨夜から降り続いた雨の雫に身を包んでいて美しかった。それの名を私は知らない。突然に寝起きを目撃され驚いてしまってなんだか複雑な気持ちになったので、慌てて母にその花の名を尋ねた。それは「ノウゼンカズラ」という。彼女は慣れたように滑らかにその花の名を口にした。口の中で小さくオウム返ししてみても、私の舌は上手く回らなかった。
その名は昔から聞いたことがあった。‘聞いたこと’があっても‘知っている’わけではないことはたくさんある。‘知った気になっている’こともしばしば。「ノウゼンカズラ」もその一つで、その名を聞いて、目の前に咲くこの花を連想することは今までなかった。反省している。

昨夜夕食の際に点いていたテレビから流れた映像に、昔暮らしていた家の最寄駅が映っていた。そのまま流れる映像を見ていると、今度はその駅の近くにある坂道が話題になっていた。有名な怪談に出てくる女性がここを通ったという伝説があるらしい。私ももちろんその坂道を歩いたことがあった。
新しい土地を訪れた夜に、時たま夢を見る。夢は見た途端に忘れてしまうようなものだけれど、そういう時に見る夢は大抵覚えている。着物を着た女性が閉じ込められていたり、逃げようと苦しんだり、助けを求めている夢。新しい土地で眠った際に何度かその類の夢を見る経験があって、決まって自分のうなり声で飛び起きる。飛び起きた後はじっとりとした嫌な汗をかいていて、なんとも言えない焦燥感に襲われる。
あの坂道がその怪談と所縁があるとは知らなかったが、あの家で暮らし始めたころ、確かにはっきりと例の夢を見たことを思い出した。夢の内容は断片的で、出てきたのはその怪談の女性とはおそらく全く関係のない女性だろうし、さして気にすることでもないのだろうが、記憶の奥の方で点と点が繋がったかのような不思議な感覚がある昨夜の出来事だった。

‘ 土地 ’というのは何とも不思議な生き物である。私たちはその土地に流れ着き、場所を借りて生活をする。その土地には何百年も何千年も前から続く記憶が確かにあって、どんなに街が新しく作り変えられようと、どんなに人や家が移り変わろうと、その時代ごとに暮らし、根付いた人々の想いははっきりと残っている。たかが数十年前その土地がどのような場所であったのか知ろうとしなければ知ることはなく、数百年前のことなどますます知らぬまま、私たちはその地で生活を始め、そして続けることは往々にしてある。
おそらく何百年前にそこに生きた彼女たちは、どのような思いで生き抜いたのであろうか。そういう夢を見るたびに、少し悲しくなって、夢の中で出会った女性に思いを馳せる。