母が蒔き損ねたバジルとパクチーの種があった。少し季節が外れてしまったようで、今から蒔いても芽は出ないかもしれない。しかし今蒔かないとなんだか心残りだから、ひとまず蒔いてみることにする、と母は言う。私も興味が沸いて手伝うことにした。
この庭はとんでもなく森に近く、私は何がどこにどう植わっているのか分からない。しかし彼女と庭を歩くと、そのどれもに名があり、家があり、まるで植物たちのアパートメントのようだ。彼女は大家兼管理人で、この森のすべてを把握している。
土がミミズによって良質なものになったり、成長していくことなど知らなかった。まず土というものに意識して触れたのはいつぶりだろうか。何かやるせなくてコンクリートに頭を擦りつけてみたり膝をついたことはあっても、土に触れ、それが生命力に溢れている、というような感覚を抱いたのは新しいかもしれぬ。
種はゴマ粒のような小さなものだった。こんなに小さいのかと驚いた。このものたちが成長して力をくれるのか。土に蒔くと見失う。見失うかもしれぬが、ほどよく水を撒き続ければ気が向いて、季節外れでも芽吹くかもしれない。気長に待とう。