香りという記憶について。

雨の雫が庭の木々を揺らし叩く音を聞きながら眠っていた。この庭は植物好きの母のおかげで、一歩足を踏み入れると森に迷い込んだような感覚に陥る。よくこの面積にこれだけの植物が呼吸できるなあと感心するほどに、彼らはそれぞれがひしめき合い、譲り合い、静かに息をしている。
東京で暮らしていたころはベランダで風に揺れる洗濯物を眺めるのがとても好きで、よく洗濯をした。晴れの日には胸が躍る。時たま自分へのご褒美で、いつもより少し高価な柔軟剤を買ったりもした。洗濯物を干すときに洋服から良い香りがするのは、幸福な気持ちになる。袖を通すときも嬉しい。今思えば都会の窓越しに揺れる洗濯物を、この窓から見える木々と重ね合わせていたのかもしれない。

香りというのは不思議で、ふとした瞬間に様々な記憶を呼び起こす。すれ違いざま人肌の香りに、どきりと怯えることがある。記憶にこびりついた香りに、どこで仕入れてきたのか分からぬような嫌悪が蘇ったり、逆に懐かしみ恋しくなったりする。あの人の衣服の柔軟剤の香り、誰かの髪のシャンプーの香り、雨降り後の雑草の香り、夕暮れの路地裏でどこからか夕飯の香り。香りに思いがけず記憶を辿らされたとき、良くも悪くも脳みそがジュッと音を立てて苦くなる。香りに、胸をかき乱される。

目に見えるものしか信じられない人がいた。私は、目に見えないものを信じたかった。次第に呼吸が苦しくなって、もう一緒にはいられなくなってしまった。私は私を壊そうと躍起になっていたけれど、それはもう私ではなくて、とっくの昔に死んでしまっていたようだ。美しいと感じるものが違っていて、でも、その違いを信じたかった。同じものを美しいと感じられなくてもたまにはいいのではないか。私たちは違うからこそこの命ですれ違ったのに、次第に輪郭がぼやけてしまって、まるで溶け合ったかのような錯覚を起こしてしまったのかもしれない。別々の個体だからこそ、すれ違えたのに。

はるか遠くの記憶に、気付けば雨は止んでいた。
夢を見ていたのかもしれない。

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