土地に息衝く彼女について。

目が覚めて窓を開けたら、見慣れない花が咲いていた。青々とした木々の中で、一輪だけ凛としてこちらを向いている。昨日までそこに存在しなかった花だと思うけれど、私が気付いていなかっただけかもしれない。通りすがり、柴犬の散歩をする紳士が鼻歌を歌っている。初めて聴いた歌だった。
花は、昨夜から降り続いた雨の雫に身を包んでいて美しかった。それの名を私は知らない。突然に寝起きを目撃され驚いてしまってなんだか複雑な気持ちになったので、慌てて母にその花の名を尋ねた。それは「ノウゼンカズラ」という。彼女は慣れたように滑らかにその花の名を口にした。口の中で小さくオウム返ししてみても、私の舌は上手く回らなかった。
その名は昔から聞いたことがあった。‘聞いたこと’があっても‘知っている’わけではないことはたくさんある。‘知った気になっている’こともしばしば。「ノウゼンカズラ」もその一つで、その名を聞いて、目の前に咲くこの花を連想することは今までなかった。反省している。

昨夜夕食の際に点いていたテレビから流れた映像に、昔暮らしていた家の最寄駅が映っていた。そのまま流れる映像を見ていると、今度はその駅の近くにある坂道が話題になっていた。有名な怪談に出てくる女性がここを通ったという伝説があるらしい。私ももちろんその坂道を歩いたことがあった。
新しい土地を訪れた夜に、時たま夢を見る。夢は見た途端に忘れてしまうようなものだけれど、そういう時に見る夢は大抵覚えている。着物を着た女性が閉じ込められていたり、逃げようと苦しんだり、助けを求めている夢。新しい土地で眠った際に何度かその類の夢を見る経験があって、決まって自分のうなり声で飛び起きる。飛び起きた後はじっとりとした嫌な汗をかいていて、なんとも言えない焦燥感に襲われる。
あの坂道がその怪談と所縁があるとは知らなかったが、あの家で暮らし始めたころ、確かにはっきりと例の夢を見たことを思い出した。夢の内容は断片的で、出てきたのはその怪談の女性とはおそらく全く関係のない女性だろうし、さして気にすることでもないのだろうが、記憶の奥の方で点と点が繋がったかのような不思議な感覚がある昨夜の出来事だった。

‘ 土地 ’というのは何とも不思議な生き物である。私たちはその土地に流れ着き、場所を借りて生活をする。その土地には何百年も何千年も前から続く記憶が確かにあって、どんなに街が新しく作り変えられようと、どんなに人や家が移り変わろうと、その時代ごとに暮らし、根付いた人々の想いははっきりと残っている。たかが数十年前その土地がどのような場所であったのか知ろうとしなければ知ることはなく、数百年前のことなどますます知らぬまま、私たちはその地で生活を始め、そして続けることは往々にしてある。
おそらく何百年前にそこに生きた彼女たちは、どのような思いで生き抜いたのであろうか。そういう夢を見るたびに、少し悲しくなって、夢の中で出会った女性に思いを馳せる。

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