父は朝から饒舌で、なんだかわくわくとしているようだった。どうやら今日は新しい場所に足を運び、新しい挑戦が始まるらしい。向こうの部屋で溌剌とした父の声が響いていた朝だった。私も今日は新しい場所に行く予定があるのだけれど、わくわくよりもどきどきが大きくて、それは少し神経をぴりりとさせるどきどきで、不安だ。うつらうつら眠りから覚める少し前、そんなことを思っていた。
父の仕事は彼にとってまさに‘Calling’、つまり‘天から授かったつとめ’‘天職’だと言う。もちろん初めからそうだったわけではない。生きるために‘Work’し続け、それがいつの間にか‘Calling’になっていたそうな。
そんなわけで今日も彼は楽しそうであった。声だけしか聞かなかった朝だけれど、なんだかそんな感じがした。新しい環境へ足を踏み入れるとき、彼は存分に楽しむ。私はまだ、楽しみよりも不安の方が勝る、らしい。
人生において、どうしても自分の‘根源’と向き合わなければならない瞬間があるように思う。普段はそれを深く意識しなくても生活は進んでゆくし、できればそんなものを気にせず進んでゆけた方が楽なのかもしれない。選択は日々更新され、足を止めることは許されぬ日常がまた、更新され続けるはずだ。しかし、そんな中でぶつかるときがある。それは突然、音もなく眼前に高く立ちはだかっている。ひょんな事がきっかけかもしれないし、とても大きな何かを経験することによって向き合わざるを得ない状況に陥るのかもしれない。
自分はこの世に誕生してから、どのように生きてきたのか。どのような環境で、何を感じ、手に入れ、失い、切望し、呼吸してきたのだろうか。また自分の祖先たちは、どのように生き抜いてきたのか。その魂を受け継いで自分にはどのような‘宿命’が、‘Calling’が、あるのだろう。