こんなにも時が経ってしまった。文章は毎日書くことに意味があると誰かが言っていて、毎日書いている時はその意味が分かってくるような気がしたりするけれど、なんだかんだと日々が過ぎてゆくとなかなかそうもいかない。こう書いている間も「なんだかんだ」とか「そう」とか、なんとなく誤魔化しながらこれを書き進めている自分が居て、キーボードに今まで見なかったはずの猫の毛がふわりと一本落ちていたり、隣で猫が喉を鳴らして眠っていたりする日常が、何時かの日々とは確実に変化していて、生きるということは、生きてゆくということは、未知との遭遇の連続。何とも使い古された言葉が一番ぴたりとこの肌に吸いつく蒸し暑い夜。
たくさんのことが差し迫ってくる日常の中で、選択し続ける私たちが辿り着く場所はどこなのだろうか。彼女は強い瞳を持っていて、しかしそれは時折儚げに揺れる。私たちだけが夜の銀座の人波の中立ち止まった。彼女が抱えるものと、私が抱えるものが、あらゆる場所から集まってきた人やモノの渦に飲まれながら息をしている。選択の先に答えがあり、その答えの先にまた選択があり、戻れない選択と戻りたい選択、二度と戻りたくない選択達が、それでも大きな目と口でこちらに何かを訴える。それらはいつだって、どれもが違う色で同じくらい輝いている不思議さ。
こだわることにこだわり続けた日々があったけれど、どうやら自分で首を絞めていたようだ。人との距離が物理的に少しゆとりのある故郷で暮らし始めて、そんなことを思った。近すぎて遠ざける日々と、近すぎて追い越せない明日と、遠ざけようにも遠ざけられない満員電車に乗り込んで、俯きながら何かを生み出さねばと頑なにこだわっていたあの頃。あの頃に頑なにこだわり続けたあの頃。自分の生きる場所も自分ではどうにもできない瞬間を迎え、それでも表現を想い生きることのできる幸福に気付く。生きる場所は、きっと、ずっと、もっと、変化し続ける。