通り雨がやってくる前に訪れる暗がりに敏感になって来た。雨が降る前は香りがする。そしたら雷が遠くで鳴って、あっという間に雨が降り出す。いつまで続くのかはわからない。地面にたたきつける雨音が全てをかき消す。
ぼうとして母のアトリエのソファに沈み込む夕刻過ぎだった。母はもくもくと刺繍をしていて、真っ白なシャツは見る間に色づいてゆく。何十本もの糸が重なり合い絵画となっていく様は見事だ。その隣でぽつりぽつり、頼りない言葉でとりとめのない話とどうにもならない話をした。私は相変わらずぼうとしていたが、彼女は手を動かしながら口も器用に動かしてくれた。彼女のコミカルな動きや表情がくるくると現れては消えてゆく。ここぞという時の凛とした表情や語気には勢いがある。母だ。確かに母がいる。
そこに居るはずの人が居なくなるということがある。そこに居るはずだと思い込んでいたのは案外こちら側だけで、そもそも居る場所はその存在自身が決定するものであるし、それは限りなく自由だ。記憶は必ず美化されていくだろう。美化されぬ記憶は忘れていくだろう。美化も忘れもできぬ悪夢は脳みそから抜け落ちて、いつか完全に削除されるだろう。綺麗ごとでは片付かない。そこに居ない、それだけが真実だ。