父の足跡。

父の青春と学びの地に訪れたとき、私はその街について何も知らず、しかしどの道を歩けども歩けども、この今踏みしめるアスファルトは敷き直されど、並ぶ店々は変われど、きっと数十年前にあの青年もこの道を歩いていたのだろう、雨の日も、晴れの日も、歩いていたのだろうなどと考えると、心が騒がしくどうしようもない。

日が高いうちに父の母校を訪れ、よく分からぬまま父が学んだ校舎の前にひとりぼうと立つ。中に入る勇気は無いなぁとうろたえている頃、教員のような殿方が校舎から出ていらしたが、‘地質学科はどこですか’と尋ねるその一言が出てこず、そのままになってしまった。

安曇野にある美術館には、愛らしいベンチがある。そこは父母が新婚旅行で訪れた場所らしく、そのベンチを父は好きだと言った。同じ形のベンチが複数あるので、どのベンチに二人が座ったのだろうか、少しずつあちこちのベンチに座ってみたり凭れてみたりした。信州はもう涼しく、木の葉が所々赤くなっている。夕暮れ時だった。

宿への帰り道、暗闇の街を走るバスはまたあの大学の前を通って、校舎の窓からはまだ灯が漏れていて、かつての青年もこんな風だったのだろうかと思い馳せる。あの窓際に青年が居たのだろうと、バンカラ世代の名残を受け継いだ彼らを見たような気がして、ゆらゆらと揺れる車内でしきりに涙が流れた。我が故郷より少ない、でも確実に煌めく夜街に、帰る場所はきっと幾らでもあるのかも知れぬなどと甘ったれたことを思ったりした。しかしこの‘甘ったれ’は所謂それではなく、この土地はきっと、私の知らぬうちにこの身体の血肉となり、彼が過ごしたこの場所は、どこか優しい、そして厳しい場所なのだろうと、流れゆく景色は滲むばかりであった。

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