指輪、et cetera.
夫はenterキーを執拗に強く叩く癖があって、その音が廊下を通ってこの小さな家中に響き渡るのだが、耳障りで仕方がない。私は息を潜めて夜が明けるのを待つ。深く呼吸していると、だんだんとこの部屋にあるすべてのものと溶け合って...
夫はenterキーを執拗に強く叩く癖があって、その音が廊下を通ってこの小さな家中に響き渡るのだが、耳障りで仕方がない。私は息を潜めて夜が明けるのを待つ。深く呼吸していると、だんだんとこの部屋にあるすべてのものと溶け合って...
耳の調子をなんとなく崩してしまって、いつもそばに在る恋焦がれる音楽も、どうにかして掴みたいきみの声も、膜が張った遠くの方から聞こえてくる。そもそも何不自由なく生活できているこの日常が奇跡であって、逃したくないあの音も、溢...
父はいつもハンカチを持っていて、母と散歩がてら街を歩く際にふと入る手洗いののち、自分のハンカチを用意してその辺で彼女を待っている。彼女は濡れた手のまま彼のもとへ行き、彼から差し出されるハンカチで手を拭う。母はもしかしたら...
残酷なものよなぁ。 と、目の前でうどんすするサラリーマンがぽつり言うので、雨降る外眺める新橋、目逸らし、午前九時。 ‘立ち食いうどん’にきっと初めて訪れたあたしゃ、うどん屋に訪れたことはあるけれども立ち食いうどんは初めて...
‘待つ’ということが、己の人生の課題であるような気がしている。とんでもなく‘待てない’人間でもないが、‘待つ’ことが得意、というわけでもない。実際に‘待つ’ときにはなんとなく気合いみたいなものが必要で、冷静でいようと意識...
阪急電車というのはいつだって魅力的である。特に馴染みもないし、時たま京都に用がある時に乗車するくらいなのだけれど、梅田駅付近で‘阪急電車のりば’という案内看板などがちらほらと出てくると、なんとも言えない高揚感が湧き上がっ...
とても綺麗に髪の毛を結っている女性がいて、彼女は友人とエスカレーターに乗っていた。手に握るスマートフォンにはInstagramらしきアプリが開かれていて、チラチラと光っている。それを眺めながら時たま友人の話に相槌を打つ彼...
過去に引き戻され苦しむ瞬間があって、それは本当に些細なきっかけで思い出され、またかと、憤りに震える。またお前か、と、まだ顔を出してくるのか、と、いい加減にしてくれ、と、怒鳴られ続けた日々を越え、血走った眼、欲吐き捨てられ...