風は生暖かく、耳障りな轟音がぼうと近づいてはまた遠のく。頼りないビニール傘をギターのソフトケースに不器用に突き刺さしてバスに乗り込んだものの、江戸の風に煽られ3秒ほどでひっくり返ってしまった虚しさよ。ビニール傘と言えど新品ではなく、家の玄関の隅の方にあった、補修を重ね忘れ去られた熟年ビニール傘を持参したのが間違いだったか。いやこの風では、新品も熟年も関係なく一瞬にして花が咲いたように風に翻るだろう。
骨がむき出しになった傘は、それでもまだ半分ほど面が残っていて、辛うじて雨を受け止めていた。風が吹くたびさす向きを変えて、翻るビニール素材を少しでも元の骨の接着部近辺に戻そうと躍起になる。雨で足元が濡れて行くこの感触はいつまでたっても慣れない。突風が吹いて見た先に民家のガラス戸があって、そこに貼られた貼り紙には楽しげな字体で「盆踊り大会」と書かれていた。開催日にきっちりと本日の日付が明記されていて、その文字をも雨は遠慮なく叩きつける。この盆踊り大会は無事行われたのだろうか。延期になったのだろうか。
とうとうこのマンションにも雨が降り込んできて、それでも向かいの部屋の窓は開け放たれたままだった。以前見た時も開いていたけれど、台風に荒れる今宵も開いている。窓辺の鉢植えに咲く小ぶりとは言えない花々が、以前見た夕暮れ時よりも激しく揺れる。閉まる気配のない窓辺の主はどんな人なのだろうかとしばらく眺めるけれど現れる様子もなく、雨はきっとあの部屋を濡らしている。遠くの空はどんどんと闇に溶けて行き、航空障害灯だけが光る。また、ぴか、ぴか、と光り、時たま秘め事を話し、また、黙る。この道が確かに夜への入り口で、嵐は去りそうもない。
踊り子が生きている部屋は白い壁に囲まれていて、彼女の大切なもの達がぽつりぽつりと点在している。確かに呼吸しているそれらと生活する彼女が佇むキッチンの灯火。サクサクと包丁で何か刻む音がして目覚めるこの白い部屋。がこんと洗濯機の回る音が聞こえるこの白い部屋。大きな窓から月の見えるこの白い部屋。